室町幕府

足利尊氏の時代

足利直義の政治~守護抑制、五山十刹制度など

新田義貞・北畠顕家・後醍醐天皇という南朝の主役が没し、1347年(貞和三年)8月に楠木正成の子正行が河内・和泉で蜂起するまでの約10年の間、比較的穏やかな時期が続き、幕府にとっては基盤強化・内政強化の時代だったといえます。 ...
足利尊氏の時代

尊氏と直義の対立の原因~守護任命と半済令

二頭体制は、中世武家政治の本質とも言われます。鎌倉幕府においては、将軍は傀儡化したと言っても、将軍と執権の二頭体制が敷かれました。将軍は幕府の儀式を、執権は幕政を執り行いました。後世においては、北条氏の力が強すぎるイメージがあり、将軍と執権...
足利尊氏の時代

高師直・師泰軍の強さの秘密

南北朝時代序盤。南朝は次々と有力武将を失い、北朝優勢となります。この北朝優勢の勲功第一位と言えるのが高師直・師泰兄弟ではないでしょうか。 高兄弟の主な戦績を見ると非常に目覚ましいものがあります。 1337年3月…師泰、新田義貞が籠もる越...
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足利尊氏の時代

高師直・師泰兄弟が強大になった理由

南北朝時代をややこしくする要因の一つが、尊氏の弟直義と足利家執事高師直の対立です。 北朝がこの二人の対立によって分裂し、観応の擾乱と呼ばれる大乱を巻き起こすのですが、今回は直義に敵対した高師直について見てみましょう。 高氏の出自...
足利尊氏の時代

足利直義の人柄~尊氏と正反対の弟

南北朝時代序盤は、北陸や東国で主に主導権が争われましたが、結果は北朝有利に進みます。 しかし、その北朝も新たな内紛と分裂を引き起こし、これが南北朝時代を複雑なものにしてしまいます。 その内紛と分裂を引き起こす北朝の2つの勢力の代表が足利...
足利尊氏の時代

足利尊氏・直義兄弟の二頭政治体制を解説

「尊氏に道心を与え給うて、後世を助け給え。今生の果報を直義に与え給うて、直義の身を安穏に守り給え」 これは、1336年(建武三年)8月17日、光明天皇を即位させた2日後に、尊氏自らしたためて清水寺に奉納した願文です。 尊氏は、光明天皇の...
足利尊氏の時代

南北朝序盤~北畠顕家・新田義貞・後醍醐の死と南朝の劣勢

今回は、北畠顕家や新田義貞の死を通して、南朝が劣勢に置かれていく様子を見ていきたいと思います。 その前に、後醍醐天皇の皇子たちの戦いから見ていきましょう。南北朝時代は、この皇子たちが全国に赴いたことで、戦乱は京都から全国に広がったのです。...
足利尊氏の時代

建武式目の制定とその背景を解説

後醍醐天皇から光明天皇に三種の神器が渡されて、足利政権を正統化する形式的な手続きが完了したのは、1336年(建武三年・延元元年)11月2日のことでした。 その5日後に、尊氏によって『建武式目』17ヶ条が制定されます。 室...
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