鎌倉北条一族

鎌倉時代

得宗北条氏と名越北条氏~争いの始まりから決着まで

得宗が交代する時、つまり前代の得宗が死去し、新しく得宗が立つとき、北条一族では必ず内紛が勃発します。 義時から泰時へ、泰時から経時へ、経時から時頼へ、時頼から時宗へと代が変わるときに内紛がおこっています。もちろん、一族郎党巻き込んでド派手...
鎌倉時代

金沢文庫設立者・金沢実時の生涯

金沢文庫。本来の読み方は「かねさわぶんこ」が正しいのですが、神奈川県立金沢文庫も京急金沢文庫駅も「かなざわぶんこ」と呼ぶので、「かなざわぶんこ」が一般的な金沢文庫。 金沢文庫は、決して出版社の名前ではありません。鎌倉幕府随一の文化人・教養...
鎌倉時代

最後の得宗・北条高時の生涯

北条高時。鎌倉幕府14代執権で、最後の得宗。一般的に鎌倉幕府が滅亡したのは北条高時が悪かったからと言われていますが、北条高時は本当に悪かったのか、今回は北条高時に心を馳せたいと思います。 誕生から執権就任まで 1303年(嘉元元年)12月2...
鎌倉時代

九代執権・北条貞時の生涯~混乱と壁に当たり続けた得宗

北条貞時は9代執権で、北条得宗家の当主です。貞時の時代に得宗専制政治が確立したと言われています。しかし、貞時が本当に専制政治といわれるほどの「専制」をできたのか?と考えると疑問に感じるわけでして・・・ 誕生から家督相続まで 1271年(文永...
北条時政の時代

北条時定・北条時政の従兄弟。甥とも弟とも。

時政より以前の北条氏の系図はあいまいで、北条時政の父親ですらその名前は正確ではありません。執権として幕府を動かし、日本の歴史を動かした北条一族ですが、その出自は実にあいまいなものなのです。 また、鎌倉時代に登場する北条氏は全て時政の子孫と...
北条時政の時代

北条宗時。時政の嫡男で弟は義時・時房

生年未詳~1180年(治承四年) 父は北条時政で母は未詳。 宗時は北条三郎と称しました。「増鏡」には「太郎は宗時、次郎は義時といへり」と記載があり、三郎・太郎いずれにしても嫡男だった可能性が高いとされています。ちなみに、義時は四郎と呼ば...
北条時政の時代

初代執権・北条時政の生涯~鎌倉最強氏族の始祖の功績と没落

北条時政。鎌倉北条氏はこの人をもってスタートしていると言っても過言ではありません。鎌倉幕府の様々な職は北条氏によって独占されていきますが、いずれも時政の子孫たちです。 それでは、時政の系統ではない北条氏はどうしているのか?となると「わから...
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