得宗北条氏

鎌倉時代

【鎌倉幕府滅亡】新田義貞と北条一族の最期

足利尊氏謀反と六波羅探題滅亡は、鎌倉幕府を恐怖のどん底に陥れたことでしょう。そして、幕府の本拠地東国でも反乱の狼煙が上がり、いよいよ北条一族にその時が来るのです。 新田義貞挙兵 鎌倉を攻撃して北条一族を滅亡させたのは、新田義貞とされてい...
六波羅探題

【鎌倉幕府滅亡】足利尊氏、六波羅探題を攻め滅ぼす

足利高氏が六波羅探題を攻め滅ぼす話にまいりましょう。 その前に、後醍醐天皇による倒幕運動のおさらいをしておきます。 そもそも、後醍醐天皇が倒幕に走った理由は、自らの皇位を維持し、自らの子孫に皇位を継承させるという野望のためで、そ...
鎌倉時代

元弘の変・後醍醐天皇の倒幕と隠岐配流

後醍醐天皇の倒幕計画は、計画メンバーが嫁さんにうっかり口を滑らしたことであっけなく失敗に終わりました。 後醍醐天皇は幕府に釈明し、日野資朝・日野俊基らが主犯格という責任を負ってもらうことでその罪を免れたのでした。 ところ...
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鎌倉時代

正中の変・後醍醐天皇、倒幕計画を立てるも隙だらけで失敗

1321年(元亨元年)、後宇多上皇の院政が停止され、後醍醐天皇の新政がはじまりました。後宇多上皇が院政を停止した理由はよくわかっていません。 念願の「治天の君」の地位を手に入れた後醍醐天皇は、いよいよ倒幕に動きます。 後醍醐天皇の倒...
鎌倉時代

【嘉暦騒動・元徳騒動】傀儡化した得宗北条高時と鎌倉幕府の限界

1311年(応長元年)12月6日、まだ9歳という幼い高時を残して病に伏していた貞時は、臨終に際して御内人の長崎高綱と安達時顕に後をたくして死去します。享年41歳。戒名は最勝園寺殿覚賢。 北条貞時は永仁の徳政に失敗して以降、寄合にも出席...
鎌倉時代

【嘉元の乱】北条貞時の専制政治!と思いきや北条氏の内紛というオチ。

貞時は、御家人の窮状を救うために永仁の徳政令を出しましたが、逆に社会の混乱を招きました。また、貞時は引付や越訴を廃止することができなかったばかりか、権力を得宗に一元化することもできませんでした。 →永仁の徳政令 得宗専制...
鎌倉時代

【永仁の徳政令】混乱を招いた北条貞時の政治

平頼綱の政治は、明らかに安達泰盛の政策を否定したものでした。 そして、今度は北条貞時が平頼綱の政策を否定します。 平頼綱が安達泰盛を滅ぼした霜月騒動以後の賞罰はすべて無効とされたのです。 また、頼綱によって失脚させられ...
鎌倉時代

御内人・内管領平頼綱の政治と平禅門の乱

1285年(弘安八年)11月、霜月騒動で幕府宿老最後の有力御家人の安達泰盛は、平頼綱を中心とする勢力によって滅ぼされました。 泰盛にかわって政権の運営にあたったのは平頼綱でした。日蓮は、平頼綱を安達泰盛と並ぶ有...
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