室町時代

南北朝時代

延暦寺の強訴~岐路に立つ室町幕府の禅宗政策

かつて、平安時代末期の院政期に白河法皇が「天下不如意」として、「賀茂川の水、双六の賽、山法師、是ぞ朕が心に随わぬもの」と嘆いた逸話があります。山法師は延暦寺の僧兵のことで、白河法皇を度々困らせたわけですが、300年後の室町時代においても山法...
院政の時代

院政の歴史を簡単解説~江戸時代まで続いた根深い仕組み

当サイトは、北条氏や足利氏に焦点を当てながら、日本の中世を楽しむことを目的としています。 その日本の中世。「院政時代」が始まりとされていますが、そもそも院政とはなんでしょうか? 今回は、院政とその歴史を簡単に解説します。 院政とは 院政...
南北朝時代

義詮と朝廷の関係~公武の頂点に立った義満の原点は父にあり

2代将軍義詮は、マイナーな室町将軍の中でも、マイナーな室町将軍ですが、義詮は何かと頑張った将軍で、その頑張りがあったからこそ3代将軍義満が花を咲かすことができました。 将軍足利義満が太政大臣になって、公武のトップに君臨したことはよく知られ...
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足利尊氏の時代

九州の南北朝動乱

正平の一統(1352年)以降、南朝勢力は衰退を重ね、武家の内紛や権力闘争のために名前を利用されるといった登場の仕方が多くなります。 確かに、短期間ではありますが、4度にわたって京都を奪回しています。しかし、それは幕府内の紛争に乗じて実現し...
南北朝時代

足利基氏と上杉憲顕~鎌倉公方と関東管領の誕生

関東の地は、北畠親房や新田義貞の子息義宗・義興による南朝軍の抵抗もむなしく、足利方の優勢によって平和の時を迎えようとしました。今回は、室町幕府の関東統治機関「鎌倉府」の鎌倉公方と関東管領誕生のいきさつについてお話ししましょう。 >>>東国...
足利尊氏の時代

得宗高時の遺児・北条時行の戦い

最後の得宗北条高時の遺児である時行(ときゆき)が起こした「中先代の乱」。先代「北条氏」、後代「足利氏」の間に起こったことから「中先代」と呼ばれます。この乱は、半世紀余りにわたる南北朝動乱のきっかけとなります。 今回は、南北朝時代の中で...
足利尊氏の時代

東国の南北朝動乱

東国は、古代は美濃より東、鎌倉時代は三河より東、南北朝時代は箱根より東を指し、時には奥州を加えて東国と呼ぶこともあります。 その東国には、鎌倉以来、あるいはそれ以前より続く名門の御家人が多くいて、長年にわたって武家が支配してきました。です...
足利尊氏の時代

足利将軍家のために活躍した三宝院賢俊と日野氏の発展

日本の中世では、僧侶がブレーンとして政治に参画し、その影響力は計り知れないものがありました。 当サイトが扱っている鎌倉・室町時代から下って、徳川家康の頃には金地院崇伝や天海大僧正なんかは超有名なブレーンですね。 南北朝時代にも、天海や崇...
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