北条時宗の時代

鎌倉時代

鎌倉幕府6代将軍・宗尊親王の生涯

かつて、3代将軍源実朝が暗殺された後、幕府は後任の将軍に後鳥羽上皇の皇子の関東下向を要請しました。 このことは、実朝が生前のとき、後鳥羽上皇の乳母で院の実力者藤原兼子と北条政子の間で決められていたことだったのですが、後鳥羽上皇は皇子の鎌倉...
鎌倉時代

金沢文庫設立者・金沢実時の生涯

金沢文庫。本来の読み方は「かねさわぶんこ」が正しいのですが、神奈川県立金沢文庫も京急金沢文庫駅も「かなざわぶんこ」と呼ぶので、「かなざわぶんこ」が一般的な金沢文庫。 金沢文庫は、決して出版社の名前ではありません。鎌倉幕府随一の文化人・教養...
鎌倉時代

【2回目の蒙古襲来】元寇・弘安の役

1274年(文永十一年)の元寇・文永の役で、元軍は謎の撤退をしました。 文永の役 元の再来に備えた鎌倉幕府 しかし、その後も元国皇帝フビライからの使者が、数度にわたって日本に派遣されています。 再び元からの使者 1275年(建...
鎌倉時代

【元寇】蒙古再来に備える幕府と西日本に拡大する北条氏勢力

1274年(文永十一年)の元・高麗軍による日本侵攻は(文永の役)、対馬から肥後・筑前の九州沿岸地域に大きな損害をもたらしました。本格戦闘はたった1日でしたが、御家人の奮闘もむなしく日本軍は敗色濃厚となったのです。 ところが翌日、元・高麗軍...
鎌倉時代

【1回目の蒙古襲来】元寇・文永の役

1271年(文永八年)8月、元使の趙良弼(しょうりょうひつ)が来日し、従わなければ武力行使もやむなしとの脅しで日本側の返書を要求しました。結局、彼は返書を与えられないまま帰国します。 そしてまた、1273年(文永十年)3月、元使の趙良弼は...
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【元寇前夜】蒙古使者と異国の防御をすすめる鎌倉幕府

日本の中世における外交史の中で、もっとも強烈な事件は蒙古襲来でしょう。文永・弘安の役と言われ、今となっては歴史の中に埋もれてしまいがちですが、江戸末期の開国・太平洋戦争(大東亜戦争)に匹敵する国難だったと言えるのではないでしょうか。 結論...
鎌倉時代

時宗の執権就任~将軍宗尊親王の追放&二月騒動、寄合政治の本格化

1263年(弘長三年)11月、北条時頼は最明寺において37歳の生涯を閉じました。戒名は最明寺道崇。 執権・得宗北条時宗の誕生 当時は6代執権赤橋流北条長時、連署は政村でした。時頼の子の時宗はまだ13歳。幕府としては、まだ眼代(中継ぎ)として...
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