北条義時の時代

北条時政の時代

2代執権・北条義時の生涯~2022年大河ドラマ主人公

足利尊氏・直義兄弟によって制定された『建武式目』には、「義時泰時父子の行状を以て近代の師となし」と記され、足利兄弟は北条義時・泰時父子が行った執権政治を理想に掲げました。室町幕府は、成立当初から鎌倉幕府の後継を意識した政権だったのです。そし...
北条時政の時代

初代連署・北条時房~甥の執権泰時と共に執権政治の確立に尽力

北条氏による執権政治が確立したのは、北条泰時の時代と言われていますが、泰時の北条氏内部での求心力は弱いもので、政子のお膳立てがなければ執権になれないような立場にありました。 政子は、自身が没したあとの泰時の立場を案じて、弟の時房を連署に任...
北条義時の時代

【承久の乱】後鳥羽上皇ら京方と北条義時ら幕府の戦い

1219年(承久元年)1月27日、3代将軍実朝は、故2代将軍頼家の子公暁によって鶴岡八幡宮で暗殺されました。 後鳥羽上皇は、幕府のトップたる将軍実朝が暗殺されたのですから、将軍=鎌倉殿を失った御家人はさぞかし動揺し、幕府は混乱すると考...
北条義時の時代

【実朝暗殺】北条義時の企て??~摂家将軍の誕生

1203年(建仁三年)9月2日、北条時政らによって、2代将軍源頼家の外戚として勢力を誇った比企氏が滅ぼされました。それから5日後の9月7日、北条政子によって源頼家が出家させられます。そして、9月15日、源実朝は12歳で3代将軍に就任しまた。...
北条義時の時代

北条義時と和田義盛の確執&和田合戦をくわしく解説

北条政子が源頼朝に嫁がなければ、伊豆の弱小豪族で終わっていたかもしれない北条氏。その北条氏は、頼朝によって歴史の表舞台に現れ、頼家・実朝の外戚という地位を利用しながら幕府内での権力を強めていきます。さらに相模国司・武蔵国司になることで、領土...
北条時政の時代

畠山重忠の乱・坂東武者の鑑、北条時政の謀略で滅亡

頼朝の死後、鎌倉幕府の権力抗争は激しさを増していきます。 時政・義時のころの北条氏は、後世の私たちが知る鎌倉幕府の実力ナンバー1な北条氏ではなく、将軍家の外戚ということで、他の御家人より特殊な地位にいるけれども、他の御家人にいつ滅ぼされて...
北条義時の時代

執権北条義時は嫡流ではなかった?それが北条氏の長年の対立の原因に

鎌倉幕府2代執権北条義時。 戦前の教科書では「朝廷に弓を引き、3人の上皇を島流しにしてしまう悪逆非道の男」として結構有名な御仁だったそうです。 さらには、源氏将軍を亡き者にし、次々と策謀を張り巡らして政敵を倒し、執権の座を確かなものとし...
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