足利尊氏の時代

南北朝時代

九州の南北朝動乱

正平の一統(1352年)以降、南朝勢力は衰退を重ね、武家の内紛や権力闘争のために名前を利用されるといった登場の仕方が多くなります。 確かに、短期間ではありますが、4度にわたって京都を奪回しています。しかし、それは幕府内の紛争に乗じて実現し...
足利尊氏の時代

得宗高時の遺児・北条時行の戦い

最後の得宗北条高時の遺児である時行(ときゆき)が起こした「中先代の乱」。先代「北条氏」、後代「足利氏」の間に起こったことから「中先代」と呼ばれます。この乱は、半世紀余りにわたる南北朝動乱のきっかけとなります。 今回は、南北朝時代の中で...
足利尊氏の時代

東国の南北朝動乱

東国は、古代は美濃より東、鎌倉時代は三河より東、南北朝時代は箱根より東を指し、時には奥州を加えて東国と呼ぶこともあります。 その東国には、鎌倉以来、あるいはそれ以前より続く名門の御家人が多くいて、長年にわたって武家が支配してきました。です...
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足利尊氏の時代

足利将軍家のために活躍した三宝院賢俊と日野氏の発展

日本の中世では、僧侶がブレーンとして政治に参画し、その影響力は計り知れないものがありました。 当サイトが扱っている鎌倉・室町時代から下って、徳川家康の頃には金地院崇伝や天海大僧正なんかは超有名なブレーンですね。 南北朝時代にも、天海や崇...
足利尊氏の時代

南北朝の動乱が「起こった理由」と「長引いた理由」を簡単に解説

南北朝時代は、1336年(建武三年)に足利尊氏が建武政権に叛いて光厳上皇を担いで光明天皇を擁立し(北朝)、後醍醐天皇が吉野に逃れて(南朝)対立したことに始まります。 この対立は、名目上は朝廷同士の戦いだったので、色んな勢力が入り乱れて展開...
足利尊氏の時代

室町幕府初代将軍足利尊氏の生涯【後編】・室町幕府創設から南北朝へ

後醍醐天皇の許可なく鎌倉に下向して、北条残党の反乱である中先代の乱を制圧した尊氏。いよいよ、本格的な動乱の時代に突入しています。 建武政権から離反 1335年(建武二年)7月、中先代の乱鎮圧のために鎌倉に下向し、鎌倉に留ま...
足利尊氏の時代

室町幕府初代将軍足利尊氏の生涯【前編】・誕生から建武の新政まで

室町幕府初代将軍足利尊氏。明治以降の教育では天皇に弓を引いた謀叛人として扱われてきた影響もあって、源頼朝や徳川家康に比べて人気もありませんし、人物評価も悪く言われる傾向にありますが、どのような人生を歩んできたのでしょうか? 今回は、誕生か...
足利尊氏の時代

北朝再建と尊氏・義詮対直冬

第二次観応の擾乱後、南朝軍の京都攻略によって、持明院統の光厳・光明・崇光の三上皇と廃太子直仁親王が賀名生に連れ去られたことで、幕府は存続の危機に立たされます。 正平の一統が破談し、再び南朝と対立した幕府は、すでに北朝が消滅...
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