得宗北条氏

鎌倉時代

4代執権・北条経時の生涯

得宗北条氏の中で、もっともマイナーと思われる人物が4代執権北条経時。それもそのはず。たった4年しか活動していないので。 しかし、この4年の間に、将軍頼経を更迭して、将軍と執権の対立関係を解消し、評定衆の改革も行って裁判制度の迅速化をはかる...
鎌倉時代

鎌倉幕府6代将軍・宗尊親王の生涯

かつて、3代将軍源実朝が暗殺された後、幕府は後任の将軍に後鳥羽上皇の皇子の関東下向を要請しました。 このことは、実朝が生前のとき、後鳥羽上皇の乳母で院の実力者藤原兼子と北条政子の間で決められていたことだったのですが、後鳥羽上皇は皇子の鎌倉...
北条時政の時代

2代執権・北条義時の生涯~2022年大河ドラマ主人公

足利尊氏・直義兄弟によって制定された『建武式目』には、「義時泰時父子の行状を以て近代の師となし」と記され、足利兄弟は北条義時・泰時父子が行った執権政治を理想に掲げました。室町幕府は、成立当初から鎌倉幕府の後継を意識した政権だったのです。そし...
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鎌倉時代

15代執権・金沢流北条貞顕~10日間だけ執権だった男の生涯

金沢貞顕は12代連署で、15代執権です。幕府の中枢にいながら、内管領長崎氏に実権を奪われていたがため、執権として活躍らしい活躍をせずに幕府滅亡とともに滅んだ貞顕。優しい性格だったのか、臆病な性格だったのか意見が分かれる人物ですが、彼の生涯が...
鎌倉時代

幻の17代執権・金沢貞将の生涯~鎌倉幕府滅亡の日に執権就任?

鎌倉幕府の最後の将軍は久明親王、最後の得宗は北条高時、最後の執権は赤橋守時。通常、執権は16代赤橋守時が最後とされています。 しかし、執権については赤橋守時ではなく、金沢貞将が最後ではないかという説があります。 どういうことか見てみまし...
鎌倉時代

13代執権・普恩寺北条基時~嘉元の乱と幕府滅亡を経験した執権

1286年(弘安九年)、父北条時兼の子として生まれました。母の名は不明。1299年(正安元年)、14歳で従五位下左馬助に任ぜられています。 極楽寺流普恩寺氏 北条泰時の弟重時に始まる北条氏の門流を「極楽寺流」とよびます。重時の子、長時(赤橋...
北条時政の時代

初代連署・北条時房~甥の執権泰時と共に執権政治の確立に尽力

北条氏による執権政治が確立したのは、北条泰時の時代と言われていますが、泰時の北条氏内部での求心力は弱いもので、政子のお膳立てがなければ執権になれないような立場にありました。 政子は、自身が没したあとの泰時の立場を案じて、弟の時房を連署に任...
鎌倉時代

御成敗式目と分国法

今回は、『御成敗式目』の内容をさらっと把握した上で、『御成敗式目』の制定が後世の社会にどのような影響を与えたのか見てみましょう。 『式目』の内容 『式目』51ヶ条の内容はどのようなものだったのか、一部かいつまんでご説明します。 1...
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