鎌倉幕府

鎌倉幕府

鎌倉幕府の盛衰を将軍・執権・御家人の視点からなるべく容易に解説

日本にはかつて3つの幕府が存在しました。鎌倉・室町・江戸幕府です。 この3つの幕府のうち、鎌倉幕府が一番複雑ではないでしょうか。室町幕府も複雑に感じますが、室町は「幕府」というより南北朝や戦国など、「時代そのもの」が複雑なように思えます。...
鎌倉時代

4代執権・北条経時の生涯

得宗北条氏の中で、もっともマイナーと思われる人物が4代執権北条経時。それもそのはず。たった4年しか活動していないので。 しかし、この4年の間に、将軍頼経を更迭して、将軍と執権の対立関係を解消し、評定衆の改革も行って裁判制度の迅速化をはかる...
鎌倉時代

鎌倉幕府6代将軍・宗尊親王の生涯

かつて、3代将軍源実朝が暗殺された後、幕府は後任の将軍に後鳥羽上皇の皇子の関東下向を要請しました。 このことは、実朝が生前のとき、後鳥羽上皇の乳母で院の実力者藤原兼子と北条政子の間で決められていたことだったのですが、後鳥羽上皇は皇子の鎌倉...
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鎌倉時代

15代執権・金沢流北条貞顕~10日間だけ執権だった男の生涯

金沢貞顕は12代連署で、15代執権です。幕府の中枢にいながら、内管領長崎氏に実権を奪われていたがため、執権として活躍らしい活躍をせずに幕府滅亡とともに滅んだ貞顕。優しい性格だったのか、臆病な性格だったのか意見が分かれる人物ですが、彼の生涯が...
鎌倉時代

幻の17代執権・金沢貞将の生涯~鎌倉幕府滅亡の日に執権就任?

鎌倉幕府の最後の将軍は久明親王、最後の得宗は北条高時、最後の執権は赤橋守時。通常、執権は16代赤橋守時が最後とされています。 しかし、執権については赤橋守時ではなく、金沢貞将が最後ではないかという説があります。 どういうことか見てみまし...
北条時政の時代

初代連署・北条時房~甥の執権泰時と共に執権政治の確立に尽力

北条氏による執権政治が確立したのは、北条泰時の時代と言われていますが、泰時の北条氏内部での求心力は弱いもので、政子のお膳立てがなければ執権になれないような立場にありました。 政子は、自身が没したあとの泰時の立場を案じて、弟の時房を連署に任...
北条政子

御家人に慕われた尼将軍・北条政子の生涯

北条政子は、征夷大将軍ではありませんが、頼朝・頼家・実朝の源家三代将軍が滅んだあと、実質的な将軍の役割を果たしたことから、「尼将軍」と呼ばれました。 北条政子は、日本三大悪女の一人に入っているようですが、悪女どころか御家人たちに慕われた女...
鎌倉幕府

院政期から鎌倉時代の京都~平安京の変化と「洛中」の成立

いつまでが平安京で、いつからが京都なのでしょうか? 明確な区分はありませんが、どうやら中世の始まり頃のようです。 今回は、平安京の変化とともに、京都の出現を見ていきたいと思います。 平安京の変化 平安遷都 794年(延暦十三年)、桓武天...
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