鎌倉幕府

鎌倉幕府

鎌倉幕府の成立時期に関する諸説をご紹介

学校の日本史の時間では、「鎌倉幕府の成立はいつか?」と問われれば、「イイクニの1192年、イイハコの1185年のどちらも覚えておきましょう」と教わります。一昔前までは1192年だけだったのですが、現在は1185年説が採用されています。 ...
鎌倉幕府

なぜ頼朝と尊氏は「惣追捕使・征夷大将軍」の就任を望んだのか?

1335年(建武二年)7月、得宗・北条高時の遺児北条時行とその残党が信濃で挙兵し、足利尊氏の弟直義の軍勢を撃破して鎌倉を攻略するという「中先代の乱」が勃発します。 中先代の乱~足利尊氏・直義兄弟と北条氏残党の鎌倉をめぐる戦い 尊氏の...
鎌倉時代

鎌倉時代は貨幣経済が発展した時代。なぜ銭が流通したのか解説。

鎌倉時代は急速に銭(貨幣・お金)が流通するようなり、いわゆる貨幣経済が発達します。 鎌倉時代は、公家中心社会から武家中心社会へと大きく転換する時代ですが、経済も大きく転換するダイナミックな時代なのです。現代日本に続く貨幣経済の幕開けの...
スポンサーリンク
六波羅探題

普恩寺流北条仲時・友時父子と北条時益~最後の六波羅探題

足利高氏の挙兵によって攻め滅ぼされた六波羅探題。その最後の探題は、北方が普恩寺流北条仲時、南方が北条時益でした。 【鎌倉幕府滅亡】足利尊氏、六波羅探題を攻め滅ぼす 普恩寺流北条仲時 極楽寺流北条重時の系統である普恩寺流北条基時(1...
鎌倉時代

御恩と奉公・御家人制度をなるべく詳しく解説

鎌倉時代は、武士=御家人というイメージがありますよね。しかし、この時代の武士全てが御家人という訳ではありません。それでは、御家人って何?となるのですが、御家人とは何か「御恩と奉公」を中心に見ていきましょう。 御家人と非御家人、そして侍 ...
鎌倉時代

得宗北条氏と名越北条氏~争いの始まりから決着まで

得宗が交代する時、つまり前代の得宗が死去し、新しく得宗が立つとき、北条一族では必ず内紛が勃発します。 義時から泰時へ、泰時から経時へ、経時から時頼へ、時頼から時宗へと代が変わるときに内紛がおこっています。もちろん、一族郎党巻き込んでド...
鎌倉時代

御内人とは何か?簡単に解説

鎌倉時代の前半は「御家人」という用語がたくさん出ていきますが、後半にもなるとその「御家人」が減って、「御内人(みうちにん・みうちびと)」がやたらと出てきます。字も非常に似ており、「家」と「内」しか違わないので、ややもすると御内人を御家人と読...
鎌倉時代

得宗とは何か?簡単に解説

当サイトは鎌倉幕府・時代から室町幕府・時代に光を当てることを企てているのですが、この時代の理解促進を妨げる用語に「得宗(とくそう)」があげられるのではないでしょうか。得宗って執権?北条の何?そもそも誰?・・・。 鎌倉時代が好きであれば...
スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました