鎌倉北条一族

北条泰時の時代

4代執権・北条経時の生涯

得宗北条氏の中で、もっともマイナーと思われる人物が4代執権北条経時。それもそのはず。たった4年しか活動していないので。 しかし、この4年の間に、将軍頼経を更迭して、将軍と執権の対立関係を解消し、評定衆の改革も行って裁判制度の迅速化をはかる...
鎌倉時代

15代執権・金沢流北条貞顕~10日間だけ執権だった男の生涯

金沢貞顕は12代連署で、15代執権です。幕府の中枢にいながら、内管領長崎氏に実権を奪われていたがため、執権として活躍らしい活躍をせずに幕府滅亡とともに滅んだ貞顕。優しい性格だったのか、臆病な性格だったのか意見が分かれる人物ですが、彼の生涯が...
鎌倉時代

幻の17代執権・金沢貞将の生涯~鎌倉幕府滅亡の日に執権就任?

鎌倉幕府の最後の将軍は久明親王、最後の得宗は北条高時、最後の執権は赤橋守時。通常、執権は16代赤橋守時が最後とされています。 しかし、執権については赤橋守時ではなく、金沢貞将が最後ではないかという説があります。 どういうことか見てみまし...
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鎌倉時代

13代執権・普恩寺北条基時~嘉元の乱と幕府滅亡を経験した執権

1286年(弘安九年)、父北条時兼の子として生まれました。母の名は不明。1299年(正安元年)、14歳で従五位下左馬助に任ぜられています。 極楽寺流普恩寺氏 北条泰時の弟重時に始まる北条氏の門流を「極楽寺流」とよびます。重時の子、長時(赤橋...
北条時政の時代

初代連署・北条時房~甥の執権泰時と共に執権政治の確立に尽力

北条氏による執権政治が確立したのは、北条泰時の時代と言われていますが、泰時の北条氏内部での求心力は弱いもので、政子のお膳立てがなければ執権になれないような立場にありました。 政子は、自身が没したあとの泰時の立場を案じて、弟の時房を連署に任...
足利尊氏の時代

得宗高時の遺児・北条時行の戦い

最後の得宗北条高時の遺児である時行(ときゆき)が起こした「中先代の乱」。先代「北条氏」、後代「足利氏」の間に起こったことから「中先代」と呼ばれます。この乱は、半世紀余りにわたる南北朝動乱のきっかけとなります。 今回は、南北朝時代の中で...
鎌倉時代

鎌倉幕府最後の執権・赤橋(北条)守時

鎌倉幕府最後の執権は「北条高時」ではありません。 高時は最後の「得宗(とくそう)」で、最後の執権は「赤橋流北条守時」です。 「赤橋守時って誰?」と言わないでください。 足利尊氏の正室登子の兄、つまり尊氏の義兄。あるいは、室町幕府2代将...
六波羅探題

普恩寺流北条仲時・友時父子と北条時益~最後の六波羅探題

足利高氏の挙兵によって攻め滅ぼされた六波羅探題。その最後の探題は、北方が普恩寺流北条仲時、南方が北条時益でした。 【鎌倉幕府滅亡】足利尊氏、六波羅探題を攻め滅ぼす 普恩寺流北条仲時 極楽寺流北条重時の系統である普恩寺流北条基時(13代執権...
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