北条高時の時代

鎌倉時代

15代執権・金沢流北条貞顕~10日間だけ執権だった男の生涯

金沢貞顕は12代連署で、15代執権です。幕府の中枢にいながら、内管領長崎氏に実権を奪われていたがため、執権として活躍らしい活躍をせずに幕府滅亡とともに滅んだ貞顕。優しい性格だったのか、臆病な性格だったのか意見が分かれる人物ですが、彼の生涯が...
鎌倉時代

幻の17代執権・金沢貞将の生涯~鎌倉幕府滅亡の日に執権就任?

鎌倉幕府の最後の将軍は久明親王、最後の得宗は北条高時、最後の執権は赤橋守時。通常、執権は16代赤橋守時が最後とされています。 しかし、執権については赤橋守時ではなく、金沢貞将が最後ではないかという説があります。 どういうことか見てみまし...
鎌倉時代

13代執権・普恩寺北条基時~嘉元の乱と幕府滅亡を経験した執権

1286年(弘安九年)、父北条時兼の子として生まれました。母の名は不明。1299年(正安元年)、14歳で従五位下左馬助に任ぜられています。 極楽寺流普恩寺氏 北条泰時の弟重時に始まる北条氏の門流を「極楽寺流」とよびます。重時の子、長時(赤橋...
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鎌倉時代

鎌倉幕府最後の執権・赤橋(北条)守時

鎌倉幕府最後の執権は「北条高時」ではありません。 高時は最後の「得宗(とくそう)」で、最後の執権は「赤橋流北条守時」です。 「赤橋守時って誰?」と言わないでください。 足利尊氏の正室登子の兄、つまり尊氏の義兄。あるいは、室町幕府2代将...
六波羅探題

普恩寺流北条仲時・友時父子と北条時益~最後の六波羅探題

足利高氏の挙兵によって攻め滅ぼされた六波羅探題。その最後の探題は、北方が普恩寺流北条仲時、南方が北条時益でした。 【鎌倉幕府滅亡】足利尊氏、六波羅探題を攻め滅ぼす 普恩寺流北条仲時 極楽寺流北条重時の系統である普恩寺流北条基時(13代執権...
鎌倉時代

最後の得宗・北条高時の生涯

北条高時。鎌倉幕府14代執権で、最後の得宗。一般的に鎌倉幕府が滅亡したのは北条高時が悪かったからと言われていますが、北条高時は本当に悪かったのか、今回は北条高時に心を馳せたいと思います。 誕生から執権就任まで 1303年(嘉元元年)12月2...
鎌倉時代

【鎌倉幕府滅亡】新田義貞と北条一族の最期

足利尊氏謀反と六波羅探題滅亡は、鎌倉幕府を恐怖のどん底に陥れたことでしょう。そして、幕府の本拠地東国でも反乱の狼煙が上がり、いよいよ北条一族にその時が来るのです。 新田義貞挙兵 鎌倉を攻撃して北条一族を滅亡させたのは、新田義貞とされています...
六波羅探題

【鎌倉幕府滅亡】足利尊氏、六波羅探題を攻め滅ぼす

足利高氏が六波羅探題を攻め滅ぼす話にまいりましょう。 その前に、後醍醐天皇による倒幕運動のおさらいをしておきます。 そもそも、後醍醐天皇が倒幕に走った理由は、自らの皇位を維持し、自らの子孫に皇位を継承させるという野望のためで、そのために...
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