北条高時の時代

鎌倉時代

元弘の変・後醍醐天皇の倒幕と隠岐配流

後醍醐天皇の倒幕計画は、計画メンバーが嫁さんにうっかり口を滑らしたことであっけなく失敗に終わりました。 後醍醐天皇は幕府に釈明し、日野資朝・日野俊基らが主犯格という責任を負ってもらうことでその罪を免れたのでした。 ところが天皇家では...
鎌倉時代

正中の変・後醍醐天皇、倒幕計画を立てるも隙だらけで失敗

1321年(元亨元年)、後宇多上皇の院政が停止され、後醍醐天皇の新政がはじまりました。後宇多上皇が院政を停止した理由はよくわかっていません。 念願の「治天の君」の地位を手に入れた後醍醐天皇は、いよいよ倒幕に動きます。 後醍醐天皇の倒幕計画...
鎌倉時代

【嘉暦騒動・元徳騒動】傀儡化した得宗北条高時と鎌倉幕府の限界

1311年(応長元年)12月6日、まだ9歳という幼い高時を残して病に伏していた貞時は、臨終に際して御内人の長崎高綱と安達時顕に後をたくして死去します。享年41歳。戒名は最勝園寺殿覚賢。 北条貞時は永仁の徳政に失敗して以降、寄合にも出席しな...
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