鎌倉殿

鎌倉時代

鎌倉幕府6代将軍・宗尊親王の生涯

かつて、3代将軍源実朝が暗殺された後、幕府は後任の将軍に後鳥羽上皇の皇子の関東下向を要請しました。 このことは、実朝が生前のとき、後鳥羽上皇の乳母で院の実力者藤原兼子と北条政子の間で決められていたことだったのですが、後鳥羽上皇は皇子の鎌倉...
北条時政の時代

2代執権・北条義時の生涯~2022年大河ドラマ主人公

足利尊氏・直義兄弟によって制定された『建武式目』には、「義時泰時父子の行状を以て近代の師となし」と記され、足利兄弟は北条義時・泰時父子が行った執権政治を理想に掲げました。室町幕府は、成立当初から鎌倉幕府の後継を意識した政権だったのです。そし...
北条時政の時代

初代連署・北条時房~甥の執権泰時と共に執権政治の確立に尽力

北条氏による執権政治が確立したのは、北条泰時の時代と言われていますが、泰時の北条氏内部での求心力は弱いもので、政子のお膳立てがなければ執権になれないような立場にありました。 政子は、自身が没したあとの泰時の立場を案じて、弟の時房を連署に任...
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北条政子

御家人に慕われた尼将軍・北条政子の生涯

北条政子は、征夷大将軍ではありませんが、頼朝・頼家・実朝の源家三代将軍が滅んだあと、実質的な将軍の役割を果たしたことから、「尼将軍」と呼ばれました。 北条政子は、日本三大悪女の一人に入っているようですが、悪女どころか御家人たちに慕われた女...
北条政子

女武将・板額御前

鎌倉時代は、数は多くありませんが女武者が活躍する時代で、男の武者顔負けの活躍をしています。 今回は、鎌倉武士が女武者をどう見ていたのかがわかる興味深いエピソードをご紹介しましょう。 城氏の乱 1201年(建仁元年)、越後の豪族城氏が幕府に...
北条政子

頼家、安達景盛の側室を奪って一触即発の危機~政子の機転で万事休す

1199年(正治元年)1月13日。源頼朝は突然死去します。確かな記録はないのですが、落馬が原因だったと言われています。 頼朝の後を継いだのが、頼朝と政子の嫡子頼家でした。頼家この時18歳。 ところが、頼家はいきなり頼朝の方針から逸脱しま...
源頼朝

木曽義仲の息子義高と宮菊から見える北条政子

北条政子は、日本三大悪女とか言われていますが、『吾妻鏡』を読む限りなぜ悪女になったのかさっぱり理解できません。 悪女が「尼将軍」と称されることもないでしょうし、御家人がついてくるはずもありません。北条政子の人柄を『吾妻鏡』から見ていくシリ...
源頼朝

亀の前事件・源頼朝と北条政子の夫婦喧嘩から見える政子の権力

政子の気性の激しさを象徴するエピソードとして知られる「亀の前事件」。政子の嫉妬が半端ない事件として、後世では少々「笑いのネタ」的扱いですが、この壮大な夫婦喧嘩の中に、政子の権力の源泉を見出すことができます。 のちに、尼将軍として御家人を率...
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