足利義詮の時代

南北朝時代

義詮と朝廷の関係~公武の頂点に立った義満の原点は父にあり

2代将軍義詮は、マイナーな室町将軍の中でも、マイナーな室町将軍ですが、義詮は何かと頑張った将軍で、その頑張りがあったからこそ3代将軍義満が花を咲かすことができました。 将軍足利義満が太政大臣になって、公武のトップに君臨したことはよく知られ...
足利尊氏の時代

九州の南北朝動乱

正平の一統(1352年)以降、南朝勢力は衰退を重ね、武家の内紛や権力闘争のために名前を利用されるといった登場の仕方が多くなります。 確かに、短期間ではありますが、4度にわたって京都を奪回しています。しかし、それは幕府内の紛争に乗じて実現し...
南北朝時代

足利基氏と上杉憲顕~鎌倉公方と関東管領の誕生

関東の地は、北畠親房や新田義貞の子息義宗・義興による南朝軍の抵抗もむなしく、足利方の優勢によって平和の時を迎えようとしました。今回は、室町幕府の関東統治機関「鎌倉府」の鎌倉公方と関東管領誕生のいきさつについてお話ししましょう。 >>>東国...
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足利尊氏の時代

東国の南北朝動乱

東国は、古代は美濃より東、鎌倉時代は三河より東、南北朝時代は箱根より東を指し、時には奥州を加えて東国と呼ぶこともあります。 その東国には、鎌倉以来、あるいはそれ以前より続く名門の御家人が多くいて、長年にわたって武家が支配してきました。です...
南北朝時代

【貞治の政変】斯波高経・義将父子の失脚と義詮の死

1362年(貞治元年)、将軍義詮は足利将軍家の次の家格にあった斯波氏を管領職に任命し、自身の将軍権威高揚と幕府の支配権強化をはかりました。その結果、幕府内外は安定の度を増し、ようやく平和が訪れるかと思われた矢先、幕府に再びゴタゴタが勃発しま...
南北朝時代

斯波氏の幕政参加と管領のはじまり~将軍義詮の輝く政治力

将軍義詮の時代は、とくに足利一門の守護勢力の興亡が激しい時代ですが、室町幕府の三管領の一つ斯波氏が幕政の中心に出てくるのはこの頃です。 しかし、なぜ斯波氏は、尊氏の時代に幕政の中心に出てくることはなかったのでしょうか?その理由を述べたうえ...
南北朝時代

南北朝時代の守護大名の興亡~大内氏と山名氏が幕府に帰参

義詮が将軍になってから、幕府内の守護同士が将軍を巻き込んで勢力争いを繰り広げられました。仁木義長・畠山国清・細川清氏といった尊氏時代を支えた有力守護が幕政の中心から没落します。 しかしながら、尊氏時代から続く幕府の...
南北朝時代

【康安の政変】南北朝時代の守護大名の興亡~細川清氏の没落

義詮が名実ともに幕府のトップに君臨したのは、尊氏が没した1358年(延文三年)から義詮が没する1367年(貞治6年)12月の10年間。 つまり、義詮政権は約10年だったわけですが、この間に幕府の有力守護たちは、将軍義詮を巻き込んで激しい政...
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