鎌倉・室町時代の社会

鎌倉幕府

院政期から鎌倉時代の京都~平安京の変化と「洛中」の成立

いつまでが平安京で、いつからが京都なのでしょうか? 明確な区分はありませんが、どうやら中世の始まり頃のようです。 今回は、平安京の変化とともに、京都の出現を見ていきたいと思います。 平安京の変化 平安遷都 794年(延暦十三年)、桓武天...
室町時代

大名化する守護と国人一揆を解説~変動する室町期の武家社会

南北朝の内乱は、足利尊氏・直義兄弟の対立を中心とした幕府中枢部の分裂、すなわち1350年(観応元年)に始まる観応の擾乱によって、複雑になり激化します。 内乱の深刻化は、幕府や守護といった社会の上層部だけでなく、在地領主や農民などを巻き込ん...
室町時代

南北朝時代は、戦い方や刀・鎧などが大きく変化した時代だった

悲しいかな、時代の変革期には必ずと言っていいほど戦いが起こりますが、それにともなって武器・武具が変化するといわれています。鉄砲が登場し、鎧が鉄に変わっていった戦国時代はわかりやすい典型例といえるでしょう。 鎌倉時代末期から南北朝時代もまた...
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南北朝時代

鎌倉末期から南北朝時代の合戦の手順を解説

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、武家社会は大きく変化します。鎌倉幕府が滅亡し、建武政権や室町幕府が誕生したのですから、変化があるのは当然と言えば当然です。 戦いの変化 戦闘を家の芸とする武家社会の変化は、戦闘そのものにも大きな影響を与え...
鎌倉時代

承久の乱が荘園社会に与えた影響とは~新補率法・西遷御家人など

今回は、承久の乱が鎌倉幕府と荘園の関係にどのような影響をもたらしたのか見ていきましょう。 承久の乱と承久没収地 承久の乱とは、1221年(承久三年)に後鳥羽上皇が執権北条義時の追討を命ずる宣旨(太政官の命令書)を発して挙兵するも、幕府軍に敗...
南北朝時代

南北朝時代・婆娑羅な武士たちとバサラなファッション

鎌倉末期から南北朝時代にかけて、様々な立場の武士が登場します。御家人・悪党・公家武者…などなど。 その中でも、当時の価値観を真っ向から否定する「変わり種」の武士が登場します。彼らは「婆娑羅(バサラ)」と呼ばれました。 室町幕府が禁止令を...
鎌倉時代

平安末期から鎌倉時代の合戦の手順について解説

「東夷(あずまえびす)」と、京都から蔑まれようが、何だろうが、武士には戦の「ルール」というものがありました。 とは言え、ルールは時代とともに変わるものですが、今回は、平安末期~鎌倉前期の戦の「模範的」なルールをご紹介しましょう。 軍使の派...
鎌倉時代

鎌倉時代の東国武士・強さの秘密

現代においても、東日本と西日本では風習が違ったり、人々の気質が違っていたりと、東と西では何かと違う点があります。 教育やテレビ・ネットなどを通じて、そういった差は小さくなりつつあるといわれる現代でも違う点があるのですから、鎌倉時代ではその...
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