鎌倉時代の足利氏

鎌倉時代

足利将軍につながる「源氏嫡流足利氏」の誕生

足利尊氏が鎌倉幕府を滅ぼし、建武の新政で武家の棟梁としての地位を築き、それをもって建武政権打倒後に室町幕府を開くという一連の行動は、足利氏が「武家の棟梁たる源氏の嫡流」という地位を獲得していたからと考えられています。 多分そうですよね。将...
鎌倉時代

足利義氏【後編】・関東宿老と鎌倉足利氏の全盛期

足利氏3代当主足利義氏は、3代執権北条泰時とは従兄弟であり、娘婿でもあり、その関係は強固なものだったようです。 この関係は後年、北条泰時の「関東棟梁」、足利義氏の「関東宿老」と称されるようになります。北条氏との強固な連携と、北関東に築いた...
北条泰時の時代

足利義氏【前編】・和田合戦と承久の乱

鎌倉時代における足利氏の基礎を築いたといえる足利義兼は、1199年(正治元年)3月8日に頼朝の死を追うようにこの世を去りました。 義兼の子供たち 義兼の子には太郎義純、二郎義助、三郎義氏、四郎義胤(二郎義助の子)と2人の娘がいました。こ...
スポンサーリンク
鎌倉時代

足利義兼・鎌倉幕府内で足利氏の基盤を作った人物

将来を期待されながらも、若くしてその一生を終えた足利氏祖の足利義康(1127~1157)。その義康のあとを継いだのは、熱田大宮司藤原季範の娘を母とする三男の義兼(よしかね)です。 義兼の母は、源義朝の妻で頼朝の母である由良...
鎌倉時代

【足利氏祖】足利義康・将来を期待されるも早すぎる死

1155年(久寿二年)6月26日、源義国は長男新田義重の新田荘で死去しました。源義国のあと、足利荘を継いだのは足利義康で、足利氏祖となります。 足利氏祖義康 1127年(大治二年)、足利義康は父源義国と母源信濃守有房の娘との間に生ま...
鎌倉時代の足利氏

【足利荘】源義国と足利氏発祥の地

今回は、源義国を中心に足利氏の発祥について見ていきましょう。 姓と名字 その前に、簡単に姓と名字について整理しておきましょう。足利氏は源氏です。今回の記事の主人公源義国の先祖の経基王が「源姓」を天皇から賜り、源経基と名乗ったが始まりとされて...
鎌倉時代

源氏の嫡流足利氏と執権北条氏の蜜月の関係

1333年(元弘三年)、足利尊氏が鎌倉幕府六波羅探題を攻め滅ぼすという歴史的事件が影響しているせいか、足利氏と北条氏の関係は悪かったという印象が世間一般にあると思われます。 もちろん、ギクシャクした時期もありますが、基本的には足利・北...
鎌倉時代の足利氏

足利義兼と源頼朝、北条氏

足利義兼は、鎌倉幕府成立当初から幕府内で重きをなす人物でした。 その証拠として、門葉(もんよう)と呼ばれる源氏一門衆に名を連ねています。同じ源氏であっても門葉に名を連ねるのは簡単ではなかったようで、源頼朝に気に入られる必要があります。 ...
スポンサーリンク