室町時代

南北朝時代

【貞治の政変】斯波高経・義将父子の失脚と義詮の死

1362年(貞治元年)、将軍義詮は足利将軍家の次の家格にあった斯波氏を管領職に任命し、自身の将軍権威高揚と幕府の支配権強化をはかりました。その結果、幕府内外は安定の度を増し、ようやく平和が訪れるかと思われた矢先、幕府に再びゴタゴタが勃発しま...
南北朝時代

斯波氏の幕政参加と管領のはじまり~将軍義詮の輝く政治力

将軍義詮の時代は、とくに足利一門の守護勢力の興亡が激しい時代ですが、室町幕府の三管領の一つ斯波氏が幕政の中心に出てくるのはこの頃です。 しかし、なぜ斯波氏は、尊氏の時代に幕政の中心に出てくることはなかったのでしょうか?その理由を述べた...
南北朝時代

南北朝時代の守護大名の興亡~大内氏と山名氏が幕府に帰参

義詮が将軍になってから、幕府内の守護同士が将軍を巻き込んで勢力争いを繰り広げられました。仁木義長・畠山国清・細川清氏といった尊氏時代を支えた有力守護が幕政の中心から没落します。 しかしな...
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南北朝時代

【康安の政変】南北朝時代の守護大名の興亡~細川清氏の没落

義詮が名実ともに幕府のトップに君臨したのは、尊氏が没した1358年(延文三年)から義詮が没する1367年(貞治6年)12月の10年間。 つまり、義詮政権は約10年だったわけですが、この間に幕府の有力守護たちは、将軍義詮を巻き込んで激し...
南北朝時代

南北朝時代の守護大名の興亡~畠山国清の没落

足利義詮が二代将軍になって、最初に幕政の中心から脱落した守護大名は仁木義長でした。この義長没落の黒幕と言われたのが、幕府執事の細川清氏と畠山国清です。 >>>仁木義長没落記事 >>>細川清氏没落の記事...
南北朝時代

南北朝時代の守護大名の興亡~仁木義長の没落

1358年(延文三年)4月30日、足利尊氏が京都で没し、後を継いだ義詮は同年12月、征夷大将軍となり名実ともに武家の棟梁となりました。いよいよ義詮の時代です。 とはいえ、義詮には宿老級の大名が取り囲んでおり、いかにして将軍権力を高める...
足利尊氏の時代

南北朝の動乱が「起こった理由」と「長引いた理由」を簡単に解説

南北朝時代は、1336年(建武三年)に足利尊氏が建武政権に叛いて光厳上皇を担いで光明天皇を擁立し(北朝)、後醍醐天皇が吉野に逃れて(南朝)対立したことに始まります。 この対立は、名目上は朝廷同士の戦いだったので、色んな勢力が入り乱れて...
南北朝時代

尊氏死後の室町幕府~足利義詮と守護大名の状況を解説

尊氏死後の室町幕府の様子は教科書などにも記載がないので、ほとんど知られていません。いきなり、義満が出てきて南北合一、日明貿易とかですから。 そもそも、二代将軍が義詮であることを知っている人はどのくらいいるのでしょう。 ということ...
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