北条義時

北条時政の時代

2代執権・北条義時の生涯~2022年大河ドラマ主人公

足利尊氏・直義兄弟によって制定された『建武式目』には、「義時泰時父子の行状を以て近代の師となし」と記され、足利兄弟は北条義時・泰時父子が行った執権政治を理想に掲げました。室町幕府は、成立当初から鎌倉幕府の後継を意識した政権だったのです。そし...
鎌倉時代

伊賀氏の変と北条泰時・三代執権の座を巡る北条氏の内紛劇を解説

1224年(元仁元年)6月13日、北条義時は死去しました。 「吾妻鏡」によると、日ごろから脚気(かっけ: ビタミン不足で神経障害が発生し、最悪心不全にいたる場合も)があったところに、6月12日に急性胃腸炎を発して、翌日に没するという急...
北条時政の時代

頼朝・義経の兄弟阿野全成~子孫は後醍醐天皇の妃阿野廉子

源頼朝の弟といえば、源義経や源範頼を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?あまり知られていないのですが、頼朝に滅ぼされずに生き残った弟がいます。彼の名は阿野全成(あのぜんじょう)。源義経の実兄でもあります。頼朝亡き後の鎌倉幕府の権力争いに挑み、敗れた悲しき人物でもあります。
北条時政の時代

梶原景時は本当に悪人だったのか?景時追放の裏に将軍擁立争い?

源義経を讒言(ざんげん)で追い落とした張本人として悪者として扱われることの多い梶原景時。悪く言われる一方で、梶原景時は素晴らしい!という賛辞の記録も残されており、評価は見方によって変わる御仁のようです。梶原景時とはいかなる武将だったのか?見ていきましょう。
北条義時の時代

執権北条義時は嫡流ではなかった?それが北条氏の長年の対立の原因に

鎌倉幕府2代執権北条義時。 戦前の教科書では「朝廷に弓を引き、3人の上皇を島流しにしてしまう悪逆非道の男」として結構有名な御仁だったそうです。 さらには、源氏将軍を亡き者にし、次々と策謀を張り巡らして政敵を倒し、執権の座を確かな...
鎌倉時代

鎌倉北条氏について簡単に解説

鎌倉幕府ナンバー2にして、実質ナンバー1な北条氏。 戦国時代の後北条氏と区別して、鎌倉北条氏・執権北条氏・前北条氏ともよばれますが、この北条一族はすごい。 血筋においては、確かに足利氏や新田氏よりも低いのですが、並みいる御家人を...
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