幻了

六波羅探題

六波羅探題④・滅亡した六波羅探題は室町幕府に引き継がれる!

足利尊氏に攻め滅ぼされた六波羅探題シリーズ最終回。 →六波羅探題シリーズ 今までは、幕府の一機関としての六波羅探題を見てきましたが、今回は国家(朝廷)の軍事・警察部門としての六波羅探題をみていきましょう。 「武家」としての六...
六波羅探題

六波羅探題③・探題は骨の折れる仕事

足利尊氏によって攻め滅ぼされた六波羅探題シリーズ。 今回は、六波羅探題と鎌倉幕府・鎮西探題の違いと、長官としての六波羅探題にスポットを当てましょう。 前回までは、鎌倉幕府の一機関としての六波羅探題でした。 文書の署名に見る鎌倉・...
六波羅探題

六波羅探題②・探題機能が整備されていく過程を見よう

六波羅探題。ろくはらたんだい。 響きが格好いいと思いませんか?格好いいと思うのは私だけでしょうか? その存在の大きさの割には、歴史の中で「しれっ」と出てくるだけの扱いに悲しさを感じていますので、当サイトはある程度、六波羅探題についてお話...
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六波羅探題

六波羅探題①・六波羅探題成立と役割についてご紹介

鎌倉幕府滅亡に至った戦いとして、足利尊氏の六波羅探題攻めと新田義貞の鎌倉攻めが挙げられます。 皆さんも鎌倉幕府については幾度となく触れたことがあると思いますが、六波羅探題について触れる機会は中々ないのではないでしょうか? 「足利尊氏が六...
鎌倉時代

元弘の変・後醍醐天皇の倒幕と隠岐配流

後醍醐天皇の倒幕計画は、計画メンバーが嫁さんにうっかり口を滑らしたことであっけなく失敗に終わりました。 後醍醐天皇は幕府に釈明し、日野資朝・日野俊基らが主犯格という責任を負ってもらうことでその罪を免れたのでした。 ところが天皇家では...
朝廷

鎌倉幕府滅亡・南北朝時代の要因となった「両統迭立」を解説

のちに南北朝時代の要因となる天皇家の分裂は、1272年(文久九年)、北条時宗が二月騒動で庶兄の時輔を誅殺したころに起こりました。 鎌倉時代に始まった天皇家の分裂は、1392年(明徳三年)に室町幕府三代将軍足利義満によって合...
鎌倉時代

正中の変・後醍醐天皇、倒幕計画を立てるも隙だらけで失敗

1321年(元亨元年)、後宇多上皇の院政が停止され、後醍醐天皇の新政がはじまりました。後宇多上皇が院政を停止した理由はよくわかっていません。 念願の「治天の君」の地位を手に入れた後醍醐天皇は、いよいよ倒幕に動きます。 後醍醐天皇の倒幕計画...
鎌倉時代

【嘉暦騒動・元徳騒動】傀儡化した得宗北条高時と鎌倉幕府の限界

1311年(応長元年)12月6日、まだ9歳という幼い高時を残して病に伏していた貞時は、臨終に際して御内人の長崎高綱と安達時顕に後をたくして死去します。享年41歳。戒名は最勝園寺殿覚賢。 北条貞時は永仁の徳政に失敗して以降、寄合にも出席しな...
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