南北朝時代

尊氏死後の室町幕府~足利義詮と守護大名の状況を解説

尊氏死後の室町幕府の様子は教科書などにも記載がないので、ほとんど知られていません。いきなり、義満が出てきて南北合一、日明貿易とかですから。 そもそも、二代将軍が義詮であることを知っている人はどのくらいいるのでしょう。 ということで、尊氏...
荘園

鎌倉時代の荘園・荘園領主と地頭の争い~地頭請・下地中分で解決?

鎌倉時代の最大の荘園領主は鎌倉幕府(将軍)です。この幕府荘園のことを関東御領と呼ぶのですが、現地の荘園管理者(荘官)のことを地頭とよびます。 天皇家・摂関家・寺家領の荘園管理者は、公文・下司・田堵などと呼ばれていましたが、...
室町時代

大名化する守護と国人一揆を解説~変動する室町期の武家社会

南北朝の内乱は、足利尊氏・直義兄弟の対立を中心とした幕府中枢部の分裂、すなわち1350年(観応元年)に始まる観応の擾乱によって、複雑になり激化します。 内乱の深刻化は、幕府や守護といった社会の上層部だけでなく、在地領主や農民などを巻き込ん...
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室町時代

南北朝時代は、戦い方や刀・鎧などが大きく変化した時代だった

悲しいかな、時代の変革期には必ずと言っていいほど戦いが起こりますが、それにともなって武器・武具が変化するといわれています。鉄砲が登場し、鎧が鉄に変わっていった戦国時代はわかりやすい典型例といえるでしょう。 鎌倉時代末期から南北朝時代もまた...
南北朝時代

鎌倉末期から南北朝時代の合戦の手順を解説

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、武家社会は大きく変化します。鎌倉幕府が滅亡し、建武政権や室町幕府が誕生したのですから、変化があるのは当然と言えば当然です。 戦いの変化 戦闘を家の芸とする武家社会の変化は、戦闘そのものにも大きな影響を与え...
朝廷

持明院・大覚寺統の荘園をめぐる仁義なき争いと文保の和談

持明院統と大覚寺統に完全に分裂し対立した天皇家は、収拾がつかなくなります。幕府もこの対立に巻き込まれますが、一貫して両統迭立の原則を固執します。この状況を打破しようとしたのが、後醍醐天皇です。 室町院領の折半 1298年(永仁...
朝廷

持明院統と大覚寺統の始まりと鎌倉幕府を巻き込んだドロドロの抗争

鎌倉・室町時代を理解するには、この時代に起こった「天皇家の分裂」を理解することが非常に重要と思われます。 というのも、鎌倉幕府の滅亡も、南北朝時代もこの両統迭立を軸に動いていきます。足利義満によって南北朝時代は終結したことになっていますが...
足利尊氏の時代

室町幕府初代将軍足利尊氏の生涯【後編】・室町幕府創設から南北朝へ

後醍醐天皇の許可なく鎌倉に下向して、北条残党の反乱である中先代の乱を制圧した尊氏。いよいよ、本格的な動乱の時代に突入しています。 建武政権から離反 1335年(建武二年)7月、中先代の乱鎮圧のために鎌倉に下向し、鎌倉に留ま...
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