鎌倉時代

鎮西探題

【鎮西探題③】歴代の鎮西探題。選任から見えてくる得宗家の思惑。

元の再来襲に備えて異国警固番役に就いている御家人・非御家人が、恩賞や所領争いのために鎌倉や六波羅に来ることは幕府としては困る話でした。 なぜなら、防備の持ち場を武士たちが離れてしまうからです。 そこで幕府は、1286年に鎮西談議所を設置...
鎮西探題

【鎮西探題②】鎮西探題の成立と初代探題金沢実政

元軍の再来襲に備えて、幕府は九州の御家人・非御家人を防備へ動員し続ける必要がありました。 そのような緊迫した中で、恩賞をめぐって九州の武士たちが鎌倉や六波羅にまで訴訟に来るというのは、持ち場を離れることになり幕府としては容認しがたいもので...
鎮西探題

【鎮西探題①】鎮西談議所と異国打手大将軍

東国政権として誕生した鎌倉幕府は、西国に勢力を伸ばすにつれて出先機関を作っていきます。幕府の拠点を西へ移すという発想はなかったようです。鎌倉幕府は、承久の乱を機として西国支配強化のために六波羅探題を設置しました。 今回は、蒙古襲来・元寇を...
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鎌倉時代

【鎌倉幕府滅亡】新田義貞と北条一族の最期

足利尊氏謀反と六波羅探題滅亡は、鎌倉幕府を恐怖のどん底に陥れたことでしょう。そして、幕府の本拠地東国でも反乱の狼煙が上がり、いよいよ北条一族にその時が来るのです。 新田義貞挙兵 鎌倉を攻撃して北条一族を滅亡させたのは、新田義貞とされています...
六波羅探題

【鎌倉幕府滅亡】足利尊氏、六波羅探題を攻め滅ぼす

足利高氏が六波羅探題を攻め滅ぼす話にまいりましょう。 その前に、後醍醐天皇による倒幕運動のおさらいをしておきます。 そもそも、後醍醐天皇が倒幕に走った理由は、自らの皇位を維持し、自らの子孫に皇位を継承させるという野望のためで、そのために...
六波羅探題

六波羅探題④・滅亡した六波羅探題は室町幕府に引き継がれる!

足利尊氏に攻め滅ぼされた六波羅探題シリーズ最終回。 →六波羅探題シリーズ 今までは、幕府の一機関としての六波羅探題を見てきましたが、今回は国家(朝廷)の軍事・警察部門としての六波羅探題をみていきましょう。 「武家」としての六...
六波羅探題

六波羅探題③・探題は骨の折れる仕事

足利尊氏によって攻め滅ぼされた六波羅探題シリーズ。 今回は、六波羅探題と鎌倉幕府・鎮西探題の違いと、長官としての六波羅探題にスポットを当てましょう。 前回までは、鎌倉幕府の一機関としての六波羅探題でした。 文書の署名に見る鎌倉・...
六波羅探題

六波羅探題②・探題機能が整備されていく過程を見よう

六波羅探題。ろくはらたんだい。 響きが格好いいと思いませんか?格好いいと思うのは私だけでしょうか? その存在の大きさの割には、歴史の中で「しれっ」と出てくるだけの扱いに悲しさを感じていますので、当サイトはある程度、六波羅探題についてお話...
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